処理中に問題が発生しました。

 吾輩は根暗である。職歴はまだ無い。端の多い生涯を送って来ました。――みんなが当たり前に持っている見えないモノが生まれつき持っていない「私」。たった一つだけ足りない、それだけで日常は異常を孕み始める。常識というような空漠たる概念を、どう学べばいいか知らないし分からない。けれど常識はそれを決して許さない。これはつまらない絶望と希望で構成された日々の中で「私」を考え、そして失敗するまでの軌跡譚……という執拗な説明文から筆者(LD:学習障害)の悪癖が分かる共感度0%な長文ブログです。

タグ:言語障害

 立春も過ぎて卒園も近づく6歳の私。

 4月から普通の小学生。理論上では。

 いくら検査をクリアしたとはいえ、現に文字と言葉を認識出来ていない。本人が真面目に授業を受けているつもりでも、黒板の文字も読めないし書き写せない。先生の話す説明や内容も理解出来ない。義務教育だってエスカレーターではない、成績や単位が取れなかったら留年もある。義務教育の留年なんて前代未聞だけど、そもそも私自体が前代未聞だった。さて、どうしたものか。

 県の教育センターとの重なる相談の結果、基本的に「普通学級」に籍を置きつつ言語訓練として週に一日、昼休みに早退して午後から「特殊学級(現:特別支援学級)」に必要な時間だけ出席する。その出席を「足りない普通学級の単位」に当てる。

 要するに「通級学級による指導」という特例授業プログラムで小学6年間を過ごすことで話が落ち着いた。
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「通級による指導」とは……日本の義務教育における特別支援教育の一つで、通常の学級に在籍していながら個人的な特別支援教育(言語障害、情緒障害、弱視、難聴などによる困難の改善・克服)を受けることの出来る教育で、1993年度に改正による特別教育課程として始まった。

 また、1993年度時点では言語障害、情緒障害、弱視、難聴などのある児童生徒が対象として行われ、LD(学習障害)などの知的障害は対象外だったが、2006年度からLD児とADHD児も対象となっている。
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 現在では「特別支援教室」というこれと似たシステムがあるが、当時としては無名の超法規的措置に等しかった。でも県の教育センターや市の教育委員会にも承諾を得ているので、そういうプランになった。

 今はだいたいの小学校に「特別支援学級」があるが、それは2006年6月の「学校教育法改正」からなので、1996年当時は「特殊学級」のある小学校は県レベルで少なかった。

 人によっては「特殊学級」を受けるために、わざわざ引っ越して転校する家庭もあったが、奇跡的に通学できる範囲内に「特殊学級」があったので推薦状も書いてもらい、そこに通うことになった。

 卒園式も近い3月3日。来月から始まる特殊学級の前に私を担当する先生と面会した。私が受ける授業は言語障害のこともあり、ゆっくり丁寧に学ぶ個別式授業。いうなれば先生と生徒のマンツーマン授業。私を担当する先生は中年の女性だった。この先生の経歴によると、早くから学習障害の指導と教育について詳しく研究している方らしい。

 そして、この先生との授業が後々大きな意味合いを持つことになるのだが、見えない・聞こえない・話せない『三重苦』と戦ったヘレン・ケラーとアン・サリバン先生の授業にあやかって、この先生の名を『伴理佐子先生』とする。

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森 有子
集英社
1989-09-20

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【あとがき】

 ケラーとサリバンが出会ったのは、ケラーが6歳の時の1887年3月3日。

 この出来事をモチーフに設定しただけなので、実際に面会したのが何月何日かは詳細には覚えていません。

 ただ、覚えていないからこそ、このときの出来事を伴先生とサリバン先生に捧ぐ。

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 ここは数日前に知能検査を受けた施設の一室。部屋には結果を待つ母と私と結果を持つ医者こと先生。手帳とその先にある将来が決まる分、その空気は張りつめていた。
 
 まず簡潔に知能検査の説明すると「集団式」と「個別式」の2種類があるのだが、私が受けたのは被検者と検査官がマンツーマンで対話しながら積木や模型を使って診断する「個別式」だった。そして、そこからいくつかの部門に分けて数値を出し、その平均値が『その人の知能指数』となる。

 障害者認定となる基準数値は『75未満』である。それを踏まえて下に進めてほしい。

「今回、綿飴君と対話してみた結果…」

「はい」

「これほど凄い子は見たことないですね」

「すごい…そんなに低いのですか?」

「いえいえ逆です、基本的に高いですよ」

「えっ? そんなに高いのですか?」

「特に『思考力』『空間認知力』においては大人に負けないぐらい優れてますよ」

「そうですか…! 良かった!!」

「ただ…ひとつだけ低い項目があります」

「低い? 何がでしょうか?」

「『言語力』です。主に文字と言葉が大変苦手のようですね」

「はー…そうですか。たしかに生まれてから会話が得意でない子でしたから」

「では全体の知能指数を伝えます」

「はい!」

「綿飴君の知能指数は『78』です」

 母は驚愕した顔をしていた。

「えっと…あの…基本的に数値高いんですよね?」

「はい」

「それなら、何故こんな数字に…?」

「だから『凄い』のです。言語力単独の数値でいえば『35』で、これ以下のない『最重度レベル』。つまり事実上の【重度言語障害児】になります。もしかしたら言語力は2歳児未満と思われます」

「2歳児未満…」

「それに伴い以下も診断されます」

 先生が予め用意した書類には四つの項目が書かれていた。

◆言葉が話せない『言語障害』
◆文字が読めない『識字障害』
◆文字が書けない『書写障害』
◆計算が出来ない『計算障害』

「おそらく綿飴君は『言葉と文字』を『雑音と模様』としか認識してません。本来、人間は物事を考える時に無意識に脳の『言語野』と呼ばれる部分で処理するのですが、綿飴君は質問された積木や模型のテストに言語を使わず正解しています。たぶん『前頭葉』など他の部分が備わる『思考力』『空間認知力』などが補っているのでしょう。これは他の能力が相当優れていないと不可能ですし、『目の前にある情報だけで応用に導く』という生きる上で一番重要な力が4歳でほぼ持ち合わせているとも言って良い」

「で、では『お、お、お』が息子なりの会話なんですか…?」

「そうですね。単に『言語が認識できない』だけですから。それに指数35で平均78ですから、他の高さは相当の物です」

「他が高いなら、成長が遅くても後に『喋れる』ようになるのでは?」

「それはありえませんね。お母さん、はっきり言いますが綿飴君は『遅い』のではなく『無い』のです」

「無いって…」

「では生まれつき手足のない子供が成長したら手足が生えてきますか? いわば綿飴君は天性の運動神経を持った手足のない子供なのです」

「そんなの…才能の生殺しじゃないですか」

「だからこの先、綿飴君は誰よりも苦しむでしょう。自分と外部の連絡が遮断されたまま生涯を過ごすことになるのです」

「では…将来私たち家族がいなくなったら…この子はどうすれば…?」

「それは…分かりません。できるだけ言語を使わない職場や環境に身を置くことしかアドバイスできません」

「そんなの、無理ですよ…」

「無理ですね…」

◆知能指数『78』
◆言語指数『35』

 特殊学級には賢すぎた言語の障害児。

 普通学級に進級する最底辺の一般児。

 長い長い旅が始まる。

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千葉リョウコ
ポプラ社
2017-07-14

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【あとがき】

 このブログを読んでる人たち全員が思うでしょうが、もう今は普通に喋れますし文字も読み書き出来ます。

 もちろん理由や経緯も今後書く予定なのでよろしくお願いします。

 外国では私のような「重度言語障害者」のことを、言葉も文字も分からない「永遠の旅行者」と呼ぶそうです。

 旅は続くよ、どこまでも。

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