処理中に問題が発生しました。

 吾輩は根暗である。職歴はまだ無い。端の多い生涯を送って来ました。――みんなが当たり前に持っている見えないモノが生まれつき持っていない「私」。たった一つだけ足りない、それだけで日常は異常を孕み始める。常識というような空漠たる概念を、どう学べばいいか知らないし分からない。けれど常識はそれを決して許さない。これはつまらない絶望と希望で構成された日々の中で「私」を考え、そして失敗するまでの軌跡譚……という執拗な説明文から筆者(LD:学習障害)の悪癖が分かる共感度0%な長文ブログです。

タグ:綿飴

 こ、こんばんは…。

 渡辺綿飴です。

 今回はタイトルでお察しの通り本日の更新についてですが、すみません。昨夜から緊急の別件でバタバタしてまして、記事を全く書けていません。

 つい最近まで記事の書き貯めで何とか賄えたのですが、プロットがアホみたいに長い過去編を除く即日で書けるブログネタを毎日探す作業はなかなか骨が折れるもので、自転車操業まがいの貯蓄すら底についたときはスーっと眼球から血液が引き下がっていきました…。

 どうにか塵レベルの社内預金である過去のツイートから運用資金を調達しまして、明日から通常更新を目指していきますので、本日についてはどうかご了承ください。

■□■□■□■□■□

【あとがき】

 かえって毎日更新にしない方が良いのかな…。

 引きこもりの無職だから人よりネタの積金が少なく、ただでさえ技量の利率が低いから元本の記事はバズる利益を生むこともなく、そんなこんなでアフィリエイト的な資産運用生活も夢もまた夢です。

 自分みたいなのは一括の〆切払いではなく分割の連載払いに変更した方が今回みたいな破産を招く事態を減らせるかもしれませんね。

 まあ連載当初の過去編がリボ払い申請にしたせいで見事に踏み倒したんですが…。
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 わが家の電話機が鳴った。通話相手は知能検査関連の職員。数日前に受けた私の検査結果の報告だった。

 4歳に受けた知能検査はマンツーマンの個別形式だったが、今回受けたのは私1人に対して専門家複数人が診断してポイントを測定する、本格的な『面接形式』での検査だった。こう言うのも変な話だが、彼らの前でごまかすことは恐らく不可能である。向こうのイスにはベテランの検査官、言語療法士、児童心理カウンセラー……そんなスペシャリストたちが出した質問に対して私が返した内容や沈黙の時間、目の動き、手足のクセ、私の何もかもが検査されている、これはどうしようもない。

「今回、渡辺綿飴君が特殊学級に編入すべきか知能検査を調べました結果、『編入する必要はない』と診断を下しました。むしろ前回行った検査結果に比べて大変良くなっています。今回検査を担当した先生たちも綿飴君を褒めてましたよ。『これほど落差が激しい子は珍しい』と」

 ここでいう『落差が激しい』とは言語野と他の知能野の障害の差を指す。

 今まで読んできた通り、私は相手と会話が出来ない。ただ相手が伝えたいことは、その表情や動作からおおよその予測はできる。後はそれに私が考えた答えを指さしなりジェスチャーなり図形や矢印など自分なりに駆使して伝える。つまり言語を使わないでも一連の会話は成立しているのだ。

 そもそも脳は物事を考えるときに「ロジック」として最初に側頭葉にある『言語野』という部分で処理する。そこで処理された情報は脳の各専門野に送られる訳だが、何事にしろ言語野の可動が大前提である。

 私の場合、その言語野が最初から壊れてる。パソコンでいえばCPUだけが壊れている状態に近い。たとえ残り部分は優秀でも意味がない。ワードやエクセルやパワーポイント以前に何もできない。それなのに会話が成立している。彼は一体どうやって物事を考えているのか分からない。たぶん専門家からしたら色んな意味で興味を感じる存在なのでしょう(最後に自分で美化したので実際は知らない)。

 今回の検査結果は教育委員会及び小学校に通知される。

 ちなみに知能指数や細かい情報は教えられない。あくまで目的は「編入は必要かどうか」なので、当初の目的以外での情報公開は禁止されているらしい。

 とにかく重要なのは、「そのまま普通学級に居て良い」「以前よりも知能指数が上がっている(ただLDには変わりないので通級は必要)」。

 そして10歳の時点で検査をクリアしたので、今後委員会に「編入申請」を送っても却下される事実だけが残った。事実上、小学校側の負けである。

 電話報告を受けた次の日、常にニコニコだった南先生から笑顔は消えていた。

「知らない」

「はやくやれ」

「勝手にしたら?」

 関係ない他の生徒にも当たるようになった。

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ジェラルド・バトラー

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【あとがき】

 それから数日後。

「せんせぇ~、表面じゃなく本質で見ようや? なっ?」

 イヤな先生に対抗して、イヤな生徒ごっこ。(※やってません)

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 1999年。10歳。小学4年生。

 100年に及んだ1900年代も300日あまりを残していた。世間では『ノストラダムスの大予言(7月)』の年により「地球滅びるのどうなの?」的な関連書籍が爆発的ベストセラーしている一方、小学生の世間では『ポケットモンスター 金・銀(ゲームボーイ)』『大乱闘スマッシュブラザーズ(ニンテンドー64)』という現在でも任天堂を代表する大人気ヒットシリーズの発売により、地球や書籍の爆発よりも画面内の爆発に視線が集まった(遊ぶ友達がいなかった私はどっちもやってなかったし持ってなかった)。

 春は職場や教室など何かと変わる。通級の伴先生はそのまま続行だが、3年に及んだ土屋先生の地獄レッスンは担任交代により終了した。もともと先生の一方的なレッスンには通級関係者なども通して何度も忠告してきたのだが、

「綿飴君には限界があります」

「勝手に限界を決めないでください」

 この溜まりに溜まったポイントの清算なのか、土屋先生は私の元を去ることになった。

 勉強が嫌だった私からしたら願ったり叶ったりのことなので、3年間ひたすら熱心に勉強を教えてもらったからといって未練など一切ない。

「あー先生さいならっす」

 恩を仇で返す、それぐらいだった。

 新年度から私の担任になった先生は土屋先生と同じ中年の女性で、この先生の名前を「南節子」とする。南先生の授業は過去3年間とは真逆で、とにかくニコニコ優しい授業だった。

「綿飴くん、無理して読まなくていいよ」

「綿飴くん、この計算は難しい?」

「綿飴くん、それっぽい字を書けばいいから!」

 授業中に天井ばかり見てもニコニコ。注意することもない。

 あー楽だ! 今までの出来事が嘘のように授業をやり過ごせる! 当時の心境としては、こんな感じだった。

 今まで私のクラス内での立ち位置を書かなかったが、そもそも喋れない上に「授業抜け出す知恵遅れ」として、いじめ大好きイケイケ心底クズ人間にとって、この上ない甘い蜜で作られた餌食だった。

 私の鉛筆を折る、私のノートを破る、授業中に私のイスを蹴る。

 土屋先生のときにはなかったいじめのあらゆる暴力で来たが、最初から授業を聞いてないような状態だったので、最悪机の上が落書き埋められようがランドセル隠されようが平気だった(ただ周りの大人からしたら笑えない状況であった)。

 当時の自分にとって「出席数さえクリアすれば後はいいや」と考えていた。さすがにメンタル面が少し痛む日もあったが、基本的にそういう調子だった。教室内でのそういう私にも南先生は終始ニコニコだった。

 そんなある日のこと。我が家の元に一通の通知書が届いた。宛元は私たちの住むY市の教育委員会。経験上嫌な予感しかない。封に入っていた紙の文面を簡単にまとめると、こう書いてあった。

「Y市教育委員会です。この度、渡辺綿飴君の担任「南節子」およびY市立Z小学校の申請により、渡辺綿飴君の普通学級から特殊学級への編入推薦が出されました。渡辺綿飴君が特殊学級に入るべきかどうか緊急知能検査を行います」

 そう、あの女、ついに本性を出したのだ。

 普段はニコニコと授業していたけれど、内心では私を見離していたのだ。

 教育関係の詳しいシステムなど知らない。ただ教師一人の独断で教育委員会に申請できる物なのか?

“およびY市立Z小学校の申請により”

 つまりは校長先生も署名している可能性もある。悪い言い方をすれば小学校自体が私を見捨てた恐れもある。いじめっ子は同年齢とは限らない。普段はガミガミと授業していたけれど、内心では違っていたのかもしれない。

 土屋先生とは本当に真逆だった。

 しかし教育委員会には伴先生や今まで私を診た医者たちが作成した私のカルテが残っているはずだし、市の委員会どころか県の教育センターからも普通級の通学許可も下りているはず。

 それを引っくり返すなど一体あの学校はどれだけ熱く書いたのか。とにかく私は人生2度目の岐路に立たされた。

 そして再び知能検査を受けることになった。


(次回に続く)

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【あとがき】

 今回の「南節子」の名の由来。

 それは「南こうせつ」に似ていたから。

 それだけ。

 あと今更になってY市とかZ小学校とか設定を後付けしたが、改めて思う。

 こういうの、よくないなぁ…。

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 普通学級の授業が怒号の鳴り止まないスパルタ系だった。それに対して特殊学級の授業では説教はなく、出来た分だけ褒めてくれた。

 そもそも人間とは理由なく怒鳴られると理由なく反発する生き物である。もちろん、ちゃんとした「理由」があって初めて説教になるのだが、それは受ける側が「その理由を自分で理解する」プロセスを経て、その説教は正しく働く。

 たとえば子猫をいじめている子どもを見かけたとき、「動物をいじめちゃいけないよ」と叱ったとする。ほとんどは「ごめんなさい」と子供は謝るが、もし、この子供が「なんで動物をいじめちゃダメなの?」と答えたら? この子が根本的に動物をいじめちゃいけない理由を理解していなかったら?

 つまり、この子供からしたら「理由なく叱られた」ということになる。そして数秒後には「(何か遊んでたら横から知らないおじさんが急に怒鳴ってきた。こわいし意味わかんないしムカつく)」と抱き始める。おそらくこの子は理由なく怒鳴られたのだから同じぐらい理由なく反発する。そうすると叱った側にとって…(そこから先は悪循環なので省略)。

 要するに熱血先生の説教に改心する不良は「先生の説教」を理解できているから改心するのだ。

 話が逸れてしまったが、分からないことは一から優しくゆっくり丁寧と説明する。何回同じ質問をされても同じ回数だけ繰り返して答える。まるでタイムループ。でも、それが伴先生の考える指導であり教育であった。

 言語障害を抱える当時の私にとって一番分からなかったもの。それは『接続詞』。

「は」「が」「を」「に」「も」「と」……など。

 これらを、いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、使うのか。

 これらを、いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、読むのか。

 それが分からなかった。

 伴先生は、この説明をイラストカード使って説明してくれた。

 そのカードには、

◆「ウサギさん」「タヌキさん」「ネコさん」などのキャラ
◆「山」「海」「町」などの場所
◆「行く」「食べる」「寝る」などの行動
◆「は」「が」「を」などの接続詞

が描かれており、カードから各ジャンル1,2枚ずつ選んで簡単な列の文章を作る。

例:カードから「ウサギさん」「山」「行く」「に」「は」を選ぶ

→これを「ウサギさん」「は」「山」「に」「行く」と並び変えて簡単な文章を作る

→まず「ウサギさんは山に行く」という想像をさせる

→ この「ウサギさん」を「綿飴くん」に変える

→「綿飴くんは山に行く」

→ 綿飴くん、つまり「私は山に行く」

→ 「は」「に」はこうやって使うんだよ!

 こういう要領で接続詞の授業が進められた。

 当時、私が覚えているものとして、『私は山に行く』 と 『私も山に行く』、私はこの二つの文章を同じ意味だと思っていた。その理由は単純で、接続詞だけ取ってみると分かる。

『私 山 行く』『私 山 行く』

 そう、同じ文章になる。

 どちらも『私』は山に行っているのだから同じ意味ではないか。

 なのに、現実は……

『は』が付くと「『一人で山に行く』事を友達に話している」という意味になる?

『も』が付くと「『山に行く友達』にお願いして私も同行する」という意味になる?

 意味が分からない!

 たった一文字で何で文章がこういう意味になるの?

 全く意味が分からない!

『私 は 山 に 行く』

『私 に 山 が 行く』

『私 が 山 と 行く』

『私 と 山 を 行く』

『私 を 山 に 行く』

『私 に 山 は 行く』

→『私 山 行く』

 何で気づかない、全部同じなんだよ!

 相当の重症としか言いようがなかった。

 では、こういう子供にはどうやって接続詞の使い分けを教えればいいのか?

 そう、『接続詞の違いを説明するのには接続詞を使う』のだ!

 そして私は『接続詞の違いを説明する接続詞が分からない』のだ!

 何なんだ、この負のスパイラルは。

「じゃあ、人はどうやって接続詞の違いを理解してるのだろう?」

 母は伴先生に聞いた。

 先生いわく、本来なら人は「何となく体感的に」この違いを理解していくと答えた。

 もちろん日本言語学的に答えると大変長くて難しい理由を経由して使い分けるのだが、日本人に限らず母国語を使う人たちはその理由を「何となく」と一瞬で使い分けているのだ(これは人間が高等な知能を持っているからこそ成り立つ術なのだが、あまりに当たり前すぎて誰も気づかない)。

 とにかく今はイラスト使って「何となく理解する」。それがゴール。

 でも私には分からなかった。分からないが溜まると段々とイライラしだす。

「……ああぁぁー!(もう分かんない!)」

 これの繰り返し。

 でもこれは言語の硬い殻を破るために必要な命懸けの授業なのだ。親鳥は外から卵の殻をクチバシで突く。ヒナは中から卵の殻をクチバシで突く。外が強く突けば簡単に割れるが中のヒナは力量がないまま生きなくてはならない。けれど中のヒナにはまだ一人で殻を突き破る力はない。だから親鳥は外からヒナが自力で割れるほどのヒビを入れるあげる必要があるのだ。両鳥が必死に良い具合に殻の一点を突き合って、割れた瞬間に初めてヒナは外の世界に旅立てる。それが先生と生徒の理想の関係。イラストカードと五十音表が置かれたテーブルには両鳥の血と汗と涙が落ちていった。

 叱咤の午前と激励の午後。そんな日常が3年間続いた。

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松吉医科器械

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【あとがき】

 当時の文字苦手エピソードで覚えているのが、「九州」と「旭川」の違いが分からなかったことです。

 テレビの天気予報を見る度に北端と西端の同じ文字があるので、しばらく「日本列島を挟む謎の字」として見てました。

 「九州」「旭川」、似てません…?

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 前話にて私の小学校プランの一連を書いて、何だか一件落着感が漂っているが、現実はそうではなかった。

 普通学級で私の担任になった人は中年の眉間にシワが切り刻まれた、何とも気難しい顔する女性の先生だった。

 名前を「土屋文玲」先生として、土屋先生の特徴を言うと、良く言えば「熱心」、悪く言えば「熱狂」。

 まず母などの通級関係者に言ったのが、

「LDなんて意味が分からないものを作らないでいただきたい。そうやって『勉強が出来ない』を病気とするなんて理解できません。はっきり言いますが、LDは甘えです」

 土屋先生は自分の考えに忠実だった。

「綿飴君、次の文読みなさい」

「綿飴君、次の計算答えなさい!」

「綿飴君、よく見て漢字書きなさい!!」

 市の教育委員会や特殊学級の伴先生から直接説明を受けているのに、断固として他の子と同じ扱いで授業が進められた。ただ当時の私は教室にいても授業そのものを聞いておらず、ただ口開け上向いて天井ばかりを見ていた。

「綿飴君、ちょっと綿飴君!」

 先生がいくら私を呼んでも気がつかない。自分の名前の発音も文字も一切知らないから、その雑音が自分を表す音だなんて夢にも思わないから分からない。私の肩を揺さぶらりながら怒鳴ったって分からない。その説教だって説明だって全ては言語。言語が理解できない私からしたら、不快な音と不明な模様にしか読み解けない。どんなに言ったって、分からないんですよ、先生。

 でも土屋先生は認めなかった。

「よく聞きなさい、あ い う え お」

「お お お お お」

「そうじゃない、あ い う え お」

「お お お お お」

「違う」机ドンッ

「お お お…」

「違う」机ドンッ

「おっ おぉ…」

「泣くなら答えなさいっ!!」

 このように私はわずか7歳にして平日5日中4日の居残りを経験した。平仮名の発音から書写、算数の数字から計算式、最終的には鉛筆の正しい持ち方まで徹底的に叩き込まれた。

 しかも当時の私は大変筆圧が弱い上に超鋭角から書いていたからノートの黒鉛は大変薄く、しかもフニャフニャな情けない波線しかなかった。

 でも、そんな私にも一つ得意な科目があった。

 それは「習字」。鉛筆はフニャフニャなのに、墨筆は何故かピシッと書けていた。

「綿飴君すごいね!! 字が書けるようになったんだね!!」

「…お おー?」

「(この子、何も分かってないで書いているな…)」

 ご名答で何も分かっておらずに寡黙に見本を真似したまま書いていた。

 でも土屋先生は私には書道の才能があるとして、母に何回も説明していたらしいが

「『書写障害』がある以上ありえないし、才能としてどうでしょう」

と、しばらく意見がすれ違っていた。

 ただ習字の上手さに関しては母も通級の伴先生も認めていた。

「うーん、障害あるはずなのに分からないわねぇ…」

 たとえ理論上は書けなくとも現実にこう書いているのだから、むしろ認めざるを得ない。

 今となって思うが、おそらく土屋先生は先生なりに私の生き残れるものを探してくれていたんだと思う。そして「ただの一人の生徒」としても。今も書道の才能が残っているのか分からない。ただ自己流が許される今なら筆が踊ると思う。

 そんな上手い習字の授業以外は相変わらず勉強がダメだった。

「これが『カ』で、これが『力』で、これが『か』で、『か』に濁点を付けるときは点々を付けるから『ガ』じゃなくて『が』で、『ガ』に濁点を取ったら『カ』になって、『力』は漢字だから濁点は付かないから、この三つの字は違うでしょ!?」

「Aくんは消しゴム6個、Bくんは消しゴム3個、二人合わせて何個になる? そしてCくんがAくんとBくんから合わせて4個貰ったら二人の消しゴムは残り何個になる? ほら簡単でしょ! 何個!?」

 そうです、駄目です、鞭です…。

「(見分け方がまったく分からない、全部同じに見える…)」

「(えーと、えーと、まず何て書けばいいんだ…?)」

 そうです、駄目です、無知です…。

 鬼指導だらけの1年生が終わって、2年生の担任にまた土屋先生がなって、3年生になってもなお土屋先生が担任で、結果的に小学校生活の半分を地獄で過ごした。

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マイルズ・テラー

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【あとがき】

 この「土屋文玲(つちやふみれ)」は仮名で、その由来は私の大好きな映画『セッション』に登場する鬼教師「フレッチャー教授」からヒントを取りました。

 特に本編に出す予定のない設定なので、制作裏話的なノリで今ここで出しておきます。

 あと、このブログに出てくる仮名たちはそういう筆者の思いつき的なノリをもとに作られていますので、この由来は何かとか深く考えずにドンドン読み進めてください。

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 同じ幼稚園時代の中の少しさかのぼった頃のこと。

 その当時、私は地元にある軽度障害児のリハビリ会に所属していた。そこである年の夏休みに静かな湖畔にあるログハウスで1泊2日の『お泊まり会』が計画された。

「子供の自立心を育てるのに良いね!」

 どこの親御さんでもそう思ったし、私の母もそう思った。

「大変かもしれないけど楽しんできてね~!」

 大きい駅の大きいバスの発つ大きいロータリーの集合地から子供たちを乗せて旅立った私と私を見送った母。

 一夜が経って、また同じ場所で私を迎えるために母は電車に揺られていた。

 まるで父兄参観化みたいになった場で待つこと数十分後、見覚えのあるバスが止まった。そのバスからクモの子を散らすように子供たちと先生数人が出てきた。

「おかえりー!」「ただいまー!」

「楽しかった?」「うん!」

 そんな楽しい会話が飛び交う中で、母は一番顔馴染みの先生に向こうでの私の様子をきいた。

「ウチの子、どうでしたか…?」

「綿飴くん、別に不安がる事なく落ち着いてましたよ!」

「そうですか! それは良かったです!」

「本当に助かりました!」

「へー、そんなにですか?」

「だってお母さん、向こうで……」

 先生の話す昨晩の出来事を聞いた母が消えた。

 宿泊の晩ご飯はカレーライスで、森と湖の近くにある野外の調理場でみんなで作るプランだった。食材準備、鍋調理、ご飯炊きなど各担当を部屋グループに分かれて、みんなで明るく楽しく調理する、はずだった。

 私の担当は野菜やお肉を小さく切り分ける「食材準備」で、準備担当のみんなでトントントンと明るい音を鳴らす中、一人だけ不安な顔をしていた。その子は自閉傾向のある子で、人一倍感受性が豊かなこともあってか何かしらの重い気持ちが渦巻いたんだと思う。

「大丈夫だよ! 大丈夫!」

 と側にいた先生さんは懸命に励ましていたが、徐々に渦巻く気持ちに負けてしまい、包丁を持ったまま叫び暴れてしまった。

 危ない!

 なに あの声は?

 やだ 怖い 助けて!

 先生さんたちも他の子たちも瞬く間にみんなに不安とパニックが伝染した。先生の一人が包丁持った子を押さえることに成功したが、まだ不安が消えていない。他の子たちも消えていない。とにかく子供たちをログハウスの中に集めよう。大人たちは必死だった。全員がリビングで1時間ほど待った頃には泣いて震えてる子供たちもだいぶ減っていた。

「さぁ、みんな。カレー作りに戻ろう!」

 そう言って先生たちは子供たちを連れて調理場に戻った。そして到着すると調理場のイスの一つにに何か小さい物体が座っていた。

 よく見ると、それはエプロンを着た私だった。また座っている私の視線の先には切り終わった大量の食材が入ったボールが何個もあった。

「……これ全部、綿飴くんが切ったの?」

 私はただ黙って頷いていた。

「ずっとここにいたの?」

 私はただ黙って頷いていた。

 どうやらみんながパニックになったとき、割と近くにいた私だけがパニックにならなかったらしい。泣いてる子供たちを大人たちが必死に移動させてたから泣かずに静かだった私の存在に誰も気づかなかった。

 日も沈んで真っ暗な森と湖に浮かぶ無駄に明るい私しかいない調理場で淡々と一人で野菜とお肉を切っていたらしい。自分の分が終わったから他の子の分も切る。全員の分が終わったから近くのイスで、みんなが戻ってくるのをひたすら待機していたらしい。

「おかげですぐにカレーが作れましたよ!」

 一部始終を聞いた母は何も言わずに珍しく激怒した。

 なに?

 暴れた子だけが優遇されるの?

 危険な最中、落ち着いてたウチの子は無視なの?

 もし振り回す包丁に当たって怪我しても本人が黙って我慢してれば介抱されないの?

 もし暗い森や湖にでも行ってしまったらどうしてくれるの!?

 というか、こんなに大人がいて誰も確認しなかったの!?

 確認してよ、バカ!!

 母は私を連れた帰りの電車の中で下向いて泣きながら繰り返し怒鳴ってた。人生でもこれほど怒ったことなかった、そう振り返って言っていた。

 だいぶ前にも「あのとき怖くなかったの?」ときかれたが、もう覚えていない私にとって初めて話を聞いたようなものなので「ど、どうだったんでしょ…?」としか返しようがなかった。大人というか大人しかったんだなと我ながら呆れた。

 この他にも「綿飴くん、朝の声かけの前にベッドまわり片づけて服も着替えて歯も磨いて、本当に手間がかかりませんでした! 良い子でしたよー!」とも言われたらしい。

 えーえー(都合が)良い子ですよ。と母は適当にお茶を濁した。

 その一件も含め、諸々の理由が重なった結果、そのリハビリ会を脱退した。ここを改善してほしいとかではないので辞める理由は「一身上の都合により」。

 むしろこっちが迷惑かけたみたいな雰囲気を残して去った。

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東野圭吾
文藝春秋
2006-02-10

【あとがき】

 振り返って書いてみると、ずいぶんと雑な扱いというか…。

 そういうことで先生たちは結局は謝ってはいません。

 話した本人もフリートーク感覚だったみたいなので指摘どうこう以前の問題だったんだと思います。

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