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 吾輩は根暗である。職歴はまだ無い。端の多い生涯を送って来ました。――みんなが当たり前に持っている見えないモノが生まれつき持っていない「私」。たった一つだけ足りない、それだけで日常は異常を孕み始める。常識というような空漠たる概念を、どう学べばいいか知らないし分からない。けれど常識はそれを決して許さない。これはつまらない絶望と希望で構成された日々の中で「私」を考え、そして失敗するまでの軌跡譚……という執拗な説明文から筆者(LD:学習障害)の悪癖が分かる共感度0%な長文ブログです。

タグ:知的障害

 普通学級と同じく“大人の事情”で数年前の時点で今通っている支援学級は、私の卒業と共に廃校が決定されていた。

 いわば私が最後の生徒。

 そして中学での通級予定はないので、ここが伴先生との授業そしてリハビリ終了になる。

 今まで支援学級の話をあまり書かなかったので今回集中的に書くと、私が個別指導受けた教室は小学校みたいな事務的な雰囲気ではなく、幼稚園みたいな家庭的な雰囲気の6畳間で床は柔らかいカーペットが敷かれており、壁紙も刺激が少ない暖色系で統一されていた。たぶん生徒に不安を与えないための工夫だろう。色々と知恵が付いた今ではそう解釈している。

 だけど、こんなアットホームな教室に一つだけ似つかわしくない物があった。

 この6畳間の真ん中には大きいテーブルとイスが2つあり、出口に近いイスが私の座る席だった。そこから対面する形で毎回授業をするのだが、私から見て右側に横長の大きな鏡があった。6年間も同じ教室で授業を受けていたので開始数回目には疑問も抱かなくなったが、実は私が受けていた教室の隣には横長の大きなガラスだけがある狭い部屋があり、そのガラスからは隣の教室が全て見えていた。つまりマジックミラーだったのだ。

 私が授業を受けてる間、母はずっとこの部屋で私を見ていたらしい。

 そして、この部屋に入る人は家族や先生だけではない。学習障害を研究する大学や病院の関係者、福祉や障害者支援を重点に活動している政治家、時には文部省(現:文部科学省)や厚生省(現:厚生労働省)からの関係者などが鏡を通して私の授業を視察に来ていたとのこと。

 もちろん誰でも視察可能ではなく、前もって書類申請をし、伴先生と母の許可が必要なのだが、母は少しでも福祉関連の役に立てればと全面的に許可をしていた。

 何ともスケールが大きい話である。

 いくら何でも大袈裟すぎない?

 あなた何でこんなに注目されたの?

 こうなった理由として、そもそもこの支援学級自体が特殊な存在だったからだ。

 本来、各支援学級の管轄は各市の教育委員会なのだが、この特殊学級の管轄は特例の『文部省』。いわば「行政が運営する授業」なのだ。当時、中央省庁再編で変わる文部省には数年後の「学校教育法改正」が進む中で、ある議題があった。

「そもそも『学習障害(LD)』は知的障害なのか?」

 現在なら「知的障害(後の発達障害)」と当たり前に言えるが、情報が少なかった当時としてはグレーゾーンであった。

 一概に知的障害といっても一体どのぐらいのレベルなのか。

 ある特定の部分だけ学習困難だなんて少々都合が良すぎるのではないか。

 けれど医療先進国アメリカでは正式に認定しているではないか。

「障害」と認定するには数が多すぎないか(判定基準によっては国民の約1割が対象者になる可能性もある)。

 当時の文部省の見解として「全国数カ所に研究・査定も兼ねた支援学級を設置」し、その結果、重度学習障害者である私が文部省が決めた査定対象の一例として支援学級授業を通して、言動や成績など様々なデータを細かく調べられた。

 さらにLD(学習障害)を持つ子の大半はADHD(注意欠陥・多動性障害)、もしくは自閉傾向を併発する場合がほとんどなのだが、私の場合は検査の結果ADHDや自閉の傾向が確認されなかった。

 いわば「純粋なLD児」なのだ。当時としては併発のない純粋なLDはまだ全国でも数人しか確認されていなかった。もちろん本当は全国的に多く存在するのだが、今に比べて社会的認知も低かったせいもあり、こういう分野で病院に連れてくる親はほとんどいなかった。

 何もかもが情報不足で手探りの研究段階に私みたいな事例が出たので、重要なサンプルとして視察希望者が続いたわけである。

 10歳の時にまだ全国でも数台しかなかったMRIで私の脳活動を調べたいという国立大学の脳研究者の依頼で何回にも渡ってMRIで脳活動を調べた。その結果、私の脳は重度の脳障害にも関わらず全体的に活発に動いており、むしろ先生たち一般人と脳活動に差がないことが判明した。

 これは脳科学の常識を裏切るに近い事態であった。ここから先生が今まで調べたデータを照らし合わせた結果、「LDとは脳波では検知できない程の微細なシナプス断列による先天的症状の一種」ということが医学上判明された。

 この研究報告は重要資料として脳科学会を通して文部省と、LDに障害者手帳を発効するか悩んだ厚生省に渡った。

 そして度重なる会議と膨大な資料を通した最終判断は……

文部省
「LDは支援すべきほどの知的障害ではない!」

厚生省
「LDは手帳発効すべきほどの障害ではない!」

 つまり「「自力で頑張れよ!!」」と宣告された。

 必要なデータを収集して最終判断を出した文部省は、もう支援学級を持ち続ける理由もなくなったので最年少の生徒である私が去った後は当初の予定通り、廃校になった。

 そして6年に及ぶ支援学級も終了を迎え、伴先生は母に私の最終報告をした。

「綿飴君の10年に及ぶ言語リハビリの総合診断を報告します」

「はい」

「残念ながら綿飴君は言葉を一生理解できないでしょう」

 私は小学校を卒業した。

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鈴村健治 佐々木徳子
川島書店
1992-05

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【あとがき】

 曖昧な記憶と情報で書いているので、後になって間違っていたことが判明したらすみません…。

 本編では対象になりませんでしたが、2005年4月に自閉症・アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害・学習障害(LD)・注意欠陥・多動性障害(ADHD)を持つ者に対する援助等について定めた法律『発達障害者支援法』が施行され、2006年4月より学習障害は正式に通級の対象となり、2007年4月から特別支援教育の対象になりました。

 そして2018年の現在では障害者手帳取得の条件も変わり、今まで対象外だった発達障害者も『精神障害者保険福祉手帳』を取得できます。

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 時は1993年。さらなる体の成長とともに癇癪はどこかに消えて、その反動に物静かな4歳児となった。けれども発言は相も変わらず「お、お、お」としか言えなかった。そんな私は重大な分かれ道の前に立つことになる。

『障害者認定』

 いわゆる「障害者手帳」を正式に渡すかどうかの知能検査だ。

 実を言うと、現時点での私は「知的障害者」ではない。その認定に必要な「IQ:知能指数」をまだ調べていないからだ。その調べた指数が「市の法令に基づく条件」を満たして、初めて「知的障害者」と認定される。

 2018年時点では分野別の精密検査や手厚いアフターケアなど様々な法設備がされているが、この1993年の時点では「知的障害」など一部の精神科医でしか知られていない全く新しい分野だった。

 しかも現存する研究報告のほどんどがアメリカの医療機関による物だった。事故や薬物による後天的な精神疾患ではない「生まれつきによる脳障害」、彼らの傾向を応用させた社会生活の改善策、アメリカの先見の目によって体系化され始めた頃だった。

 今まで一言「頭がおかしい」「狐が憑いている」など伝統で片づけていた日本の精神医学界には、あまりにも壁が多かった。ましてや詳しく調べる技術を持った研究者や明確なデータが圧倒的に少ない。研究に必要な対象者も予算もない。当時インターネットなど無いから欲しい情報もろくに手に入らないし世間も理解ができなかった。

 いわば何もかもが『未開』の地。

 それに知能検査をして仮に「知的障害」と認定されても、渡されるのは知的障害者用の「療育手帳」ではなく、精神障害者用の「障害者手帳(正式名称:精神障害者保険福祉手帳)」だった。そもそも、この当時は「身体障害」「精神障害」の2択しかなく(当時は身体系は赤表紙・精神系は緑表紙だったが現在は市によって色が違う)、それぐらい未開だったのだ。

 そして私は手帳を取得できるか、取得する必要があるのか調べるために市の知能検査を受けることになった。

 もし手帳を取得すると、どういう利点があるのか。まず身近な物で数点述べると……

◆電車やバスなどの交通料金が安くなる
◆映画館や博物館などの料金が安くなる
◆就職活動も障害者枠で採用されやすい
◆障害年金で国民年金よりも少し貰える

 もちろんこれらは大人に近づくにつれ発揮する物だが、早く取得することに越したことはない。何だか持ってると便利そうだし貰えるなら貰えば? という声も上がりそうだが、そう簡単にはいかない。

 もちろん結果によっては取得不可だし、仮に取得しても「あること」が自動的に決められる。

『普通学級との進路振り分け』

 やや語弊を招く表現になるが…義務教育を受ける以上、適切なカリキュラムを組む必要がある。そのためにも予め「健常児」と「障害児」を差別化する必要があるのだ。より良く合った授業を効率的に受ける、つまり手帳の取得が「これからの人生」を決まるのだ。

 私の住む市が行う知能検査を受け終わった今、手帳と将来の結果はいかに…?

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松本清張
新潮社
1983-01-27

【あとがき】

 できるだけ毎日更新になるよう予約投稿のストックで今この記事を書いている6月5日の1週間前の5月29日、あるニュースが飛び込んだ。
 日本年金機構が障害基礎年金の受給者約1000人余りに対し、障害の程度が軽いと判断して支給打ち切りを検討していることが判明した。対象者には、特例的に1年間の受け取り継続を認めつつ、今年度中に改めて支給の可否を審査するとの通知が届いている。都道府県単位だった審査手続きが全国で一元化された影響とみられるが、受給者の間には「症状は改善していないのに困る」と戸惑いが広がっている。――Yahoo!ニュースおよび毎日新聞より引用

 あいにく政治に疎いのでミスリードを招かぬよう政府擁護・批判的な発言は控えるが、当時の知的障害児のいる家庭にとって『障害年金』は金額は高くなくとも、私たち親が亡くなった後に我が子が「健康で文化的な最低限度の生活」を送る最大の頼み綱であった。

 それこそ「何とかして我が子に手帳を持たせよう」と有力な情報をかき集める親たちがほとんどだった。

 中には「あの市の福祉事務所が検査が通りやすい」という信憑性の怪しい噂だけで、その市に引っ越した家庭・普段よりバカになれと子供に命令した家庭もいたらしいので、それほど親たちは血眼だった。

 あれ?

 そう書いちゃうと「あながち『支給打ち切り』も間違ってない判断ですねん」とも受け取れる内容になるな…。

 こりゃマズい!

 緊急警告! 緊急警告!

 ただいま有毒ガス『ミスリード』が当記事内に蔓延しています!

 正当な判断が出来る間に本日の記事はここで終わります!(サイレンが鳴り響きながら防煙シャッターが閉まる)

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