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 吾輩は根暗である。職歴はまだ無い。端の多い生涯を送って来ました。――みんなが当たり前に持っている見えないモノが生まれつき持っていない「私」。たった一つだけ足りない、それだけで日常は異常を孕み始める。常識というような空漠たる概念を、どう学べばいいか知らないし分からない。けれど常識はそれを決して許さない。これはつまらない絶望と希望で構成された日々の中で「私」を考え、そして失敗するまでの軌跡譚……という執拗な説明文から筆者(LD:学習障害)の悪癖が分かる共感度0%な長文ブログです。

タグ:発達障害

 にぎやかだった文化祭の後片づけを終えて、今年も良い手応えがあったとしみじみ実感していた。

 もう文化祭は去年に経験済みだから、開催中に起こりうるトラブルを想定して自ずと先回りする形で回避した。と書けばカッコいいが正しくはそうではない。

 第31話に出てきた展開とほとんど同じなのだ。そういう意味では去年のマニュアル使えばいいからハプニングに弱いLDには非常に助かる。強いて違う所を言うなら、

◆夏の合宿で集めてきた砂金大量投入
(顧問部員総動員で灼熱の川に数時間捜索はキツかった)

◆アニメに強い部員による原画展示スペース
(正確には非営利目的で印刷した非営利レプリカ展示)

◆去年のスライム製作が今年は人工イクラ製作
(バイオテクノロジーみたいな言い方だが実際は着色したアルギン酸ナトリウムをスポイトで塩化カルシウム水溶液の中に垂らすと化学反応でイクラっぽく固まる超王道実験)

 ついでに人工イクラの作り方は……

『用意するもの』
◆空のペットボトル 500ml
◆スポイト
◆ビーカー
◆食紅(絵の具でもOK)
◆塩化カルシウム(薬局で手に入る)
◆アルギン酸ナトリウム(薬局で手に入る)

 この中から、

①.ペットボトルに水を半分入れ、アルギン酸ナトリウムを小さじ1~2杯加えて溶かす(3~4%アルギン酸ナトリウム水溶液が理想)。溶けにくいのでよく振って、洗剤のり程度の粘性あればOK。

②.①の溶液に食紅を加えて色をつける(絵の具でも構わないので好きな色で遊ぼう)。

③.塩化カルシウム10%の水溶液を作る。多少大雑把でも構わないが濃度が低いと固まらない。

④.スポイトで色つけたアルギン酸ナトリウム水溶液を塩化カルシウム水溶液の中に1滴ずつ垂らす。

⑤.イクラっぽい球状になったら実験成功!

※補足すると……天然イクラも人工イクラも、油球(中にある目玉っぽい黄身にあたる液体)、ゾル(中にあるそれ以外の白身にあたる液体)、ゲル(油とゾルを包む殻にあたる膜)の3重構造になっている。ゲルの作り方は上で学んだので、その中に天然イクラの液体を入れたら事実上の天然イクラとなる。ただし天然イクラはお湯に入れると表面が白濁する。わざわざ確認するには少々高いしもったいないので、お寿司屋でイクラ頼んだときに1~2粒お吸い物の中に入れてみるのがオススメだ。もし濁らなかったら月夜の晩に大将に狙われないことを祈る。なお、この補足は読んでも読まなくても本編に影響はない。

 要約すると「科学部の催し物は成功した」(きれいな一言だろ。ウソみたいだろ。要約したんだぜ。自分で書いといて…)。

 それが理由の1つと、別にもう1つあった。去年に比べて+αな環境に身を置いていたからだ。実は部活の掛け持ちで高2の前半から私は写真部に入部していた。科学部に比べると活動日は少なく、偶然にも日が被ることも少なかった。

 それに卒業した旧高3の先輩の中に写真部部長で掛け持ちしていた人がいたから顧問も部活仲間も承知の範囲内だった。

 ちなみに今回の入部には親友の杉下と同時に入った。その経緯は大変単純で、二人で昼休みに廊下を歩いていたときに英語の選択科目で教えてもらっている写真部の顧問からスカウトされた。スカウトといっても5人以上の部員集めで才能を見出されたとかでは一切ない。けど書道より写真に興味ある自分は「ほなやってみましょか」な軽いノリでその日の晩に家族の承諾もらって入部した。隣の杉下も帰宅部以外は似たような経緯である。

 ちなみに秋の文化祭は美術部・書道部・写真部の3つが毎年合同で展覧会を開催して各部員は番号付いた作品を出展する。

 観覧にきたお客は受付でアンケート紙を渡されて、作品を見ながら自分が良いと思った作品を各部門3つずつ選んで帰りに受付の箱に投票する。ポイントが高かった各部門の上位3名が次回の朝礼で賞状が貰える仕組みだ。

 この年は地元の水族館で展示されていた3方向の照明で赤く透けたミズクラゲの写真と、近所の公園で自分の自転車と土手と池と雲の小津安二郎を彷彿させるシンメトリカル構図によるロー・ポジションからの正面アングル写真(解説:今考えた)と、エトセトラ(別名:もう忘れた)数枚で出展した。

 結果から言うとミズクラゲで金賞を受賞した(勉強と運動以外なら割と早くエリートになれる)。そしてミズクラゲは次の展覧会まで図書室前の廊下に1年間展示された。ただ、褒められる環境に反して内心は複雑だった。実はこの1枚だけは入部に勢い込んで買ったデジカメ(800万画素)のではなく、水族館一通り撮り終わったついでに撮った携帯電話のカメラ(195万画素)のだった。

 みんなが本気のカメラで本気で挑戦していて、自分もまた本気で挑んでいたのに面目が立たない…。

 隣の銀賞と銅賞が一段とカッコ良く見えた。

     〇

 校庭の落葉が落陽の光彩に染まる頃、理系志望なのに期末試験の数学Bで赤点ギリギリを取ってしまった。

 この3ヶ月間で算数ドリル(小2)から何とか数学白チャートⅡB(高2)まで少々駆け足で追いついてきたものの、数列の公式がややこしくて覚えれなかった(告白すると未だに探り探りで式書いては覚え直している)。でも内心点加算で追試と補習は免れた。

     〇

 秋の深まりが雪の深まりに変わる頃、母が持病悪化による腫瘍の切除手術と入院の関係で10日間ほど家を空けることになった。もう冬休みに入った手術当日の夕方には父と一緒に談話室みたいな所で無事に終了したと執刀医から報告を受けた。ついでに「切除した部位見ますか?」と訊ねられたが父子で「見たくない」と断った。さすがに気持ち悪いし。

「うーん、そうですか…」

 執刀医は少し残念そうにその場を去った。

 だけど、その後ろに回した手に持っているドロッとした赤黒い固形物の入った保存袋を残念にも私は見逃さなかった。

「うーん、絶対あれだな…」

 幸いにも今日に至るまでレバーを普通に食べられるので精神被害は(たぶん)無いと思いたい。

 少々刺激的な始まりを迎えた後の冬休みは日中家にいる私が代わりに料理以外の家事しつつ勉強して読書していた。特にその時に読んだ

◆ボッコちゃん(星新一:新潮文庫)
◆江戸川乱歩傑作選(江戸川乱歩:新潮文庫)
◆キノの旅(時雨沢恵一:電撃文庫)

に味わったことのない衝撃を受けた。白地に黒の文字だけで描かれいるその世界は、容易に想像させといて、容易に騙して、容易に想像を裏切る。

 本当に面白かった。この経験のおかげなのか、国語は理科や数学に負けない面白い仕組みを持つ教科なんだと17歳になって、やっと理解できた。

 そして、その興奮を押さえられぬまま私は以前からやりたいと考えていた「大学受験ブログ」を学習障害を伏せて開設した。その理由もまた単純で、10年前は今ほど発達障害について、世間的に知れ渡っていなかったし、何より知的障害者に受験は無理だと言われたくなかった。

“普通の高校生が国立大を目指すブログ”

 そんなシンプルなあらすじでよかった。コメントは来ない、アクセス数も少ない、誰に気にしないで好き勝手に楽しく書いた(ちなみにそのブログ自体はライブドアブログと違うサービスで書いており、数年前にサービス終了でサイトは現存していないが書いた全記事はバックアップしてカテゴリー『古日記』として残している)。

 新年を迎える4日前に母が退院して、無事に家族4人揃って年末年始を過ごせた。


(次回に続く)

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数研出版

【あとがき】

 本編の各こぼれ話。

『文化祭』

 ウチの学校にある釣り部は毎年文化祭に金魚すくいならぬ金魚釣りを催しており、この年に自分は小さい金魚を一匹釣りました。

 その後、我が家に迎え入れた金魚は第17話にも登場するあの水槽で飼われ、5年以上を過ごした結果、5センチ未満だった子が20センチ以上にまで成長しました。

 もうそこまで成長しちゃうと家族の認識も「鯉」として育てました。

 でもさ、見た目は赤金魚なんだよねぇ…。


『お見舞い』

 手術したおかげで母は今も元気に過ごしています。

 当時入院していた病院が家から徒歩で行ける所だったので、現状報告も兼ねて父と一緒に毎日通っていました。

 そして家事全般を任されていたのだが、ある日、洗濯するのを忘れてた事を出かける直前になって思い出しました。

 うーわー…何て言ったものかなぁ…。

 母のいる病室に着いて、

「何か変わったことはない?」

 と聞かれたので、

「(ええっと…)何もないよ」

 と返したら、

「洗濯物はちゃんと干した?」

 私は慌てて、

「あー…まだ干してない」

 と言うと、

「えっ、じゃあまだ洗濯機の中!? どうしよ…絶対臭くなってるよ。やり方分かる? 洗濯機の水を一旦抜いて、それで……」

 もう自白した。

「あぁ…いいです。実はまだ洗濯してないんだ…」

「してない? じゃあ何であんなこと言ったの?」

「み、見栄かと…」

 切除手術を終えて間もない母はベッドの上でめちゃくちゃ笑いました。隣のベッドまで聞こえるぐらい笑いました。切った傷口が開きかけるぐらい笑いました。

 次の日、いつもの通り見舞いに行くと昨日の話が病室内で大ウケしたらしい。

 だからなのか。この病室で過ごす患者さんたちがいつも以上にフレンドリーで優しかった。

 この失敗のおかげで誰かが笑顔になるん「だったら良いかー」と勝手に美談で終わらせました。

 家帰って直ぐに洗濯したけど、もう汚れが固まっちゃったものもあって困ったけど、それが自分の部屋着で「だったら良いかー」とそのまま着続けることにしました。

 まさか29歳になっても着続けるとは思いませんでした…。


『ブログ』

 当時のHNは「渡辺綿飴」ではなく「機械職人」という前名義で書いていました。

 由来は将来「機械の研究をする技術者(職人)」になりたいと願掛け8割を込めて名乗りました。

 では、なぜ改名したのか?

 この経緯もいずれ記事として書く予定です。

 また今回および今まで当ブログに出てきた(自称)独特な文章表現の基礎は上の小説家3名と、その後に出会う

◆三谷幸喜
◆宮藤官九郎
◆福田雄一

◆中島みゆき
◆椎名林檎
◆サカナクション

などの脚本家と音楽家の影響から構成されてます(自称)。

Q.じゃあ、いつになったらその師匠たちと肩並べるようになるんですか?

A.あと500年ぐらい続ければ足元までたどり着けると思います。その前に死んじゃう? それで良いんです。死のうが生きようがいずれ成功すると思ったほうが生きやすいんだからさ…。
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 普通学級と同じく“大人の事情”で数年前の時点で今通っている支援学級は、私の卒業と共に廃校が決定されていた。

 いわば私が最後の生徒。

 そして中学での通級予定はないので、ここが伴先生との授業そしてリハビリ終了になる。

 今まで支援学級の話をあまり書かなかったので今回集中的に書くと、私が個別指導受けた教室は小学校みたいな事務的な雰囲気ではなく、幼稚園みたいな家庭的な雰囲気の6畳間で床は柔らかいカーペットが敷かれており、壁紙も刺激が少ない暖色系で統一されていた。たぶん生徒に不安を与えないための工夫だろう。色々と知恵が付いた今ではそう解釈している。

 だけど、こんなアットホームな教室に一つだけ似つかわしくない物があった。

 この6畳間の真ん中には大きいテーブルとイスが2つあり、出口に近いイスが私の座る席だった。そこから対面する形で毎回授業をするのだが、私から見て右側に横長の大きな鏡があった。6年間も同じ教室で授業を受けていたので開始数回目には疑問も抱かなくなったが、実は私が受けていた教室の隣には横長の大きなガラスだけがある狭い部屋があり、そのガラスからは隣の教室が全て見えていた。つまりマジックミラーだったのだ。

 私が授業を受けてる間、母はずっとこの部屋で私を見ていたらしい。

 そして、この部屋に入る人は家族や先生だけではない。学習障害を研究する大学や病院の関係者、福祉や障害者支援を重点に活動している政治家、時には文部省(現:文部科学省)や厚生省(現:厚生労働省)からの関係者などが鏡を通して私の授業を視察に来ていたとのこと。

 もちろん誰でも視察可能ではなく、前もって書類申請をし、伴先生と母の許可が必要なのだが、母は少しでも福祉関連の役に立てればと全面的に許可をしていた。

 何ともスケールが大きい話である。

 いくら何でも大袈裟すぎない?

 あなた何でこんなに注目されたの?

 こうなった理由として、そもそもこの支援学級自体が特殊な存在だったからだ。

 本来、各支援学級の管轄は各市の教育委員会なのだが、この特殊学級の管轄は特例の『文部省』。いわば「行政が運営する授業」なのだ。当時、中央省庁再編で変わる文部省には数年後の「学校教育法改正」が進む中で、ある議題があった。

「そもそも『学習障害(LD)』は知的障害なのか?」

 現在なら「知的障害(後の発達障害)」と当たり前に言えるが、情報が少なかった当時としてはグレーゾーンであった。

 一概に知的障害といっても一体どのぐらいのレベルなのか。

 ある特定の部分だけ学習困難だなんて少々都合が良すぎるのではないか。

 けれど医療先進国アメリカでは正式に認定しているではないか。

「障害」と認定するには数が多すぎないか(判定基準によっては国民の約1割が対象者になる可能性もある)。

 当時の文部省の見解として「全国数カ所に研究・査定も兼ねた支援学級を設置」し、その結果、重度学習障害者である私が文部省が決めた査定対象の一例として支援学級授業を通して、言動や成績など様々なデータを細かく調べられた。

 さらにLD(学習障害)を持つ子の大半はADHD(注意欠陥・多動性障害)、もしくは自閉傾向を併発する場合がほとんどなのだが、私の場合は検査の結果ADHDや自閉の傾向が確認されなかった。

 いわば「純粋なLD児」なのだ。当時としては併発のない純粋なLDはまだ全国でも数人しか確認されていなかった。もちろん本当は全国的に多く存在するのだが、今に比べて社会的認知も低かったせいもあり、こういう分野で病院に連れてくる親はほとんどいなかった。

 何もかもが情報不足で手探りの研究段階に私みたいな事例が出たので、重要なサンプルとして視察希望者が続いたわけである。

 10歳の時にまだ全国でも数台しかなかったMRIで私の脳活動を調べたいという国立大学の脳研究者の依頼で何回にも渡ってMRIで脳活動を調べた。その結果、私の脳は重度の脳障害にも関わらず全体的に活発に動いており、むしろ先生たち一般人と脳活動に差がないことが判明した。

 これは脳科学の常識を裏切るに近い事態であった。ここから先生が今まで調べたデータを照らし合わせた結果、「LDとは脳波では検知できない程の微細なシナプス断列による先天的症状の一種」ということが医学上判明された。

 この研究報告は重要資料として脳科学会を通して文部省と、LDに障害者手帳を発効するか悩んだ厚生省に渡った。

 そして度重なる会議と膨大な資料を通した最終判断は……

文部省
「LDは支援すべきほどの知的障害ではない!」

厚生省
「LDは手帳発効すべきほどの障害ではない!」

 つまり「「自力で頑張れよ!!」」と宣告された。

 必要なデータを収集して最終判断を出した文部省は、もう支援学級を持ち続ける理由もなくなったので最年少の生徒である私が去った後は当初の予定通り、廃校になった。

 そして6年に及ぶ支援学級も終了を迎え、伴先生は母に私の最終報告をした。

「綿飴君の10年に及ぶ言語リハビリの総合診断を報告します」

「はい」

「残念ながら綿飴君は言葉を一生理解できないでしょう」

 私は小学校を卒業した。

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鈴村健治 佐々木徳子
川島書店
1992-05

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【あとがき】

 曖昧な記憶と情報で書いているので、後になって間違っていたことが判明したらすみません…。

 本編では対象になりませんでしたが、2005年4月に自閉症・アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害・学習障害(LD)・注意欠陥・多動性障害(ADHD)を持つ者に対する援助等について定めた法律『発達障害者支援法』が施行され、2006年4月より学習障害は正式に通級の対象となり、2007年4月から特別支援教育の対象になりました。

 そして2018年の現在では障害者手帳取得の条件も変わり、今まで対象外だった発達障害者も『精神障害者保険福祉手帳』を取得できます。

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