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 吾輩は根暗である。職歴はまだ無い。端の多い生涯を送って来ました。――みんなが当たり前に持っている見えないモノが生まれつき持っていない「私」。たった一つだけ足りない、それだけで日常は異常を孕み始める。常識というような空漠たる概念を、どう学べばいいか知らないし分からない。けれど常識はそれを決して許さない。これはつまらない絶望と希望で構成された日々の中で「私」を考え、そして失敗するまでの軌跡譚……という執拗な説明文から筆者(LD:学習障害)の悪癖が分かる共感度0%な長文ブログです。

タグ:小学4年生

 小さい頃から生き物が大好きだった。

 だけど犬や猫を飼ったことはない。小鳥もなければウサギやネズミもない。ただし魚に関して言えば人より多く飼った経験はある。

 理由の一つに住んでいる家がペット厳禁の古い賃貸マンションだってこともあるが、現場肌の土木技術者だった父自身が海中工事を請け負う程のダイバーだったから、幼少期の時から我が家には魚類関連の情報が溢れていた。

 家の廊下には少し大きい水槽が二つあり、一つが海水濾過に特化した海水魚用、もう一つがシンプル構造の淡水魚用。

 この二つの水槽を駆使して海水魚に淡水魚、熱帯魚から汽水魚(川と海の境界線エリアで暮らす魚)まで、ありとあらゆる魚の飼育に挑戦してきた。

 この片方の海水魚の水槽においては一時期クマノミとナンヨウハギが同居していたのだが、ディズニーがこの組み合わせで世界的有名アニメ映画を発表すると知るのは、ここから10年以上も経った先である。

 そんなシェアハウスのように様々な住人ならぬ住魚が居た中、時たま変わり種の時期もあり、ミノカサゴやイソギンチャクやアサリもあったが、一番珍しかったのがカブトガニの飼育だったと思う。当時はエビでもカニもない変わった形の生き物ぐらいしか思ってなかったが、現在では天然記念物指定の保護動物として一般の飼育は禁止されている。

 それから間もなく家計の関係でメンテナンスが掛かる海水魚の水槽を処分し、もう一つの淡水魚の水槽だけが家に残ることになった。

 更に少し時が経って、小4の夏休みに近所のデパートで「ドジョウ早すくい大会」という催し物があった。手先の器用さに自信もあってか飛び入り参加で優勝した私は景品のドジョウ3匹を貰った。

「3匹だけじゃ寂しいから買い足してドジョウ鍋するか?」

 父の非常な提案を無視して、空いていた淡水魚の水槽にドジョウ3匹を飼い始めた。

 たしか名前は「リック」「クー」「カイン」、今でも大好きな「星のカービィ」から取った。

 彼らを飼い始めて1ヶ月ぐらい経った頃、父が彼らの水槽にお友達を入れた。

 ウナギだ。もう一度言うがウナギだ。

 近所の取り扱い豊富なペットショップに売っていたそうだ。

「普通なら食べるドジョウをあえて飼うならウナギ飼うのも面白いじゃん」

 そういう経緯で大変江戸前感が漂う川魚が集まった淡水魚の水槽。

 そして1週間後には踊るように1匹のドジョウが水中を舞っていた。下半身が食いちぎられた状態で。

 この突然の殺魚事件は推理しなくとも分かるとおり、犯人ならぬ犯魚は同居のウナギで、川の中らしく食ったのだ。

 ウナギって獰猛な肉食なんだよな。顔をよく見るとウツボに似ているんだよな。では数年前にもう一つの水槽で飼っていたウツボと何が違うんだ。もう食べれるウツボなんじゃないか?(※調べるとウツボを食べる地域もあるらしい)

 小学4年生にしてハートブレイクを経験した頃、父が彼らの水槽に新しいお友達を入れた。

 ウナギだ。もう一度言うがウナギだ。

 近所の取り扱い豊富なペットショップが再入荷したそうだ。

「2匹いたほうが更に面白くね?」

 そんな父の発言から1週間もしない内に水槽からドジョウ2匹が消えた。

 たぶんこのウナギたち、よそのより少し美味だと思う。

 そうでないとあいつらが無駄死ではないか。こいつらの命は誰かの命のそばに宿ってるんだ。何だかそれらしい定義で自分なりに気持ちを整理させた。

 それから1年が経ち、片方の1匹が水槽のフタの隙間から抜けて、床の隅に散らばっていたホコリにまみれて窒息死した。

 何ともあっけない終わり方だ。

 ウナギ、死んだから食うのか?

 そんなの、こいつはもう家畜じゃなくて、とっくに家族だよ。

 結局は食べることなく今まで飼ってきた魚と同じ、近所の公園の雑草地にて土葬をしました。

 それから更に2年が経ち、50cm以上までに成長した残りの1匹が老衰で死んだ。

「家族が死んだ」

 やはり食べるとか思いつかず、片方を埋めた場所にて土葬をした。

 それから追加されなかった水槽には、水を抜いて最終的には誰もいなくなった。

 この水槽だけでも今まで様々な魚が暮らしてきたが、ここに住む魚が観賞にしろ家畜にしろ最終的には家族として同じ命だと認識して、そして形は違えど弔う気持ちが生まれるのだ。

 黒板もなければ先生もいない自問自答だけの世界。

 今考えると深めの命の授業だった。

 この水槽にはウナギの後も現在に至るまで、形も種類も違う生き物たちが暮らしてきた。

 どんな生き物にしろ、この水槽に入れば、みんな「家族」になる。

 次は何の生き物を入れるのだろう。

 次の家族が待ち遠しい。

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【あとがき】

アサリ……幼稚園の時に潮干狩りで採ったアサリに情が移ってしまい、親に駄々をこねて飼いました。三日後に腐敗して痛まれない気持ちになりました。

ウツボ……大変ゴツいのに小さい私が付けた名前は「ポチ」でした。犬じゃないのにね。ちなみにウツボはウナギ目ウツボ科ウツボ属らしく、ウナギの方が原種だったと今回の執筆で知りました。衝撃!

ミノカサゴ……見た目は綺麗ですが大変強い毒を持っているので、今思うととんでもない物を飼っていたと思います。一時期、父の提案でヒョウモンダコ飼おうかという話がありました。結局飼わなかったのですが、ミノカサゴどころじゃない毒を持っているので今は良かったと思います。

ドジョウ……名前がカービィの仲間だったので分かる通り「星のカービィ」大好きでした。当時の夢がプププランドに移住して永住権取得する事だったぐらい崇拝してました。それと同じくらいキノコランドにも住みたかったです。ディズニーランドよりゴエモンのゆき姫編に登場する遊園地に行きたくて泣きました。この頃からゲーム脳です。

 父の趣味だった廊下の水槽と同時進行でやっていた母の趣味であるベランダの園芸は今でも続いています。

 藤が咲きました。5年物です。

 桜が咲きました。11年物です。

 小さいバラが咲きました。14年物です。

 赤いアマリリスが咲きました。28年物です。

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 1999年。10歳。小学4年生。

 100年に及んだ1900年代も300日あまりを残していた。世間では『ノストラダムスの大予言(7月)』の年により「地球滅びるのどうなの?」的な関連書籍が爆発的ベストセラーしている一方、小学生の世間では『ポケットモンスター 金・銀(ゲームボーイ)』『大乱闘スマッシュブラザーズ(ニンテンドー64)』という現在でも任天堂を代表する大人気ヒットシリーズの発売により、地球や書籍の爆発よりも画面内の爆発に視線が集まった(遊ぶ友達がいなかった私はどっちもやってなかったし持ってなかった)。

 春は職場や教室など何かと変わる。通級の伴先生はそのまま続行だが、3年に及んだ土屋先生の地獄レッスンは担任交代により終了した。もともと先生の一方的なレッスンには通級関係者なども通して何度も忠告してきたのだが、

「綿飴君には限界があります」

「勝手に限界を決めないでください」

 この溜まりに溜まったポイントの清算なのか、土屋先生は私の元を去ることになった。

 勉強が嫌だった私からしたら願ったり叶ったりのことなので、3年間ひたすら熱心に勉強を教えてもらったからといって未練など一切ない。

「あー先生さいならっす」

 恩を仇で返す、それぐらいだった。

 新年度から私の担任になった先生は土屋先生と同じ中年の女性で、この先生の名前を「南節子」とする。南先生の授業は過去3年間とは真逆で、とにかくニコニコ優しい授業だった。

「綿飴くん、無理して読まなくていいよ」

「綿飴くん、この計算は難しい?」

「綿飴くん、それっぽい字を書けばいいから!」

 授業中に天井ばかり見てもニコニコ。注意することもない。

 あー楽だ! 今までの出来事が嘘のように授業をやり過ごせる! 当時の心境としては、こんな感じだった。

 今まで私のクラス内での立ち位置を書かなかったが、そもそも喋れない上に「授業抜け出す知恵遅れ」として、いじめ大好きイケイケ心底クズ人間にとって、この上ない甘い蜜で作られた餌食だった。

 私の鉛筆を折る、私のノートを破る、授業中に私のイスを蹴る。

 土屋先生のときにはなかったいじめのあらゆる暴力で来たが、最初から授業を聞いてないような状態だったので、最悪机の上が落書き埋められようがランドセル隠されようが平気だった(ただ周りの大人からしたら笑えない状況であった)。

 当時の自分にとって「出席数さえクリアすれば後はいいや」と考えていた。さすがにメンタル面が少し痛む日もあったが、基本的にそういう調子だった。教室内でのそういう私にも南先生は終始ニコニコだった。

 そんなある日のこと。我が家の元に一通の通知書が届いた。宛元は私たちの住むY市の教育委員会。経験上嫌な予感しかない。封に入っていた紙の文面を簡単にまとめると、こう書いてあった。

「Y市教育委員会です。この度、渡辺綿飴君の担任「南節子」およびY市立Z小学校の申請により、渡辺綿飴君の普通学級から特殊学級への編入推薦が出されました。渡辺綿飴君が特殊学級に入るべきかどうか緊急知能検査を行います」

 そう、あの女、ついに本性を出したのだ。

 普段はニコニコと授業していたけれど、内心では私を見離していたのだ。

 教育関係の詳しいシステムなど知らない。ただ教師一人の独断で教育委員会に申請できる物なのか?

“およびY市立Z小学校の申請により”

 つまりは校長先生も署名している可能性もある。悪い言い方をすれば小学校自体が私を見捨てた恐れもある。いじめっ子は同年齢とは限らない。普段はガミガミと授業していたけれど、内心では違っていたのかもしれない。

 土屋先生とは本当に真逆だった。

 しかし教育委員会には伴先生や今まで私を診た医者たちが作成した私のカルテが残っているはずだし、市の委員会どころか県の教育センターからも普通級の通学許可も下りているはず。

 それを引っくり返すなど一体あの学校はどれだけ熱く書いたのか。とにかく私は人生2度目の岐路に立たされた。

 そして再び知能検査を受けることになった。


(次回に続く)

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【あとがき】

 今回の「南節子」の名の由来。

 それは「南こうせつ」に似ていたから。

 それだけ。

 あと今更になってY市とかZ小学校とか設定を後付けしたが、改めて思う。

 こういうの、よくないなぁ…。

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