普通学級の授業が怒号の鳴り止まないスパルタ系だった。それに対して特殊学級の授業では説教はなく、出来た分だけ褒めてくれた。

 そもそも人間とは理由なく怒鳴られると理由なく反発する生き物である。もちろん、ちゃんとした「理由」があって初めて説教になるのだが、それは受ける側が「その理由を自分で理解する」プロセスを経て、その説教は正しく働く。

 たとえば子猫をいじめている子どもを見かけたとき、「動物をいじめちゃいけないよ」と叱ったとする。ほとんどは「ごめんなさい」と子供は謝るが、もし、この子供が「なんで動物をいじめちゃダメなの?」と答えたら? この子が根本的に動物をいじめちゃいけない理由を理解していなかったら?

 つまり、この子供からしたら「理由なく叱られた」ということになる。そして数秒後には「(何か遊んでたら横から知らないおじさんが急に怒鳴ってきた。こわいし意味わかんないしムカつく)」と抱き始める。おそらくこの子は理由なく怒鳴られたのだから同じぐらい理由なく反発する。そうすると叱った側にとって…(そこから先は悪循環なので省略)。

 要するに熱血先生の説教に改心する不良は「先生の説教」を理解できているから改心するのだ。

 話が逸れてしまったが、分からないことは一から優しくゆっくり丁寧と説明する。何回同じ質問をされても同じ回数だけ繰り返して答える。まるでタイムループ。でも、それが伴先生の考える指導であり教育であった。

 言語障害を抱える当時の私にとって一番分からなかったもの。それは『接続詞』。

「は」「が」「を」「に」「も」「と」……など。

 これらを、いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、使うのか。

 これらを、いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、読むのか。

 それが分からなかった。

 伴先生は、この説明をイラストカード使って説明してくれた。

 そのカードには、

◆「ウサギさん」「タヌキさん」「ネコさん」などのキャラ
◆「山」「海」「町」などの場所
◆「行く」「食べる」「寝る」などの行動
◆「は」「が」「を」などの接続詞

が描かれており、カードから各ジャンル1,2枚ずつ選んで簡単な列の文章を作る。

例:カードから「ウサギさん」「山」「行く」「に」「は」を選ぶ

→これを「ウサギさん」「は」「山」「に」「行く」と並び変えて簡単な文章を作る

→まず「ウサギさんは山に行く」という想像をさせる

→ この「ウサギさん」を「綿飴くん」に変える

→「綿飴くんは山に行く」

→ 綿飴くん、つまり「私は山に行く」

→ 「は」「に」はこうやって使うんだよ!

 こういう要領で接続詞の授業が進められた。

 当時、私が覚えているものとして、『私は山に行く』 と 『私も山に行く』、私はこの二つの文章を同じ意味だと思っていた。その理由は単純で、接続詞だけ取ってみると分かる。

『私 山 行く』『私 山 行く』

 そう、同じ文章になる。

 どちらも『私』は山に行っているのだから同じ意味ではないか。

 なのに、現実は……

『は』が付くと「『一人で山に行く』事を友達に話している」という意味になる?

『も』が付くと「『山に行く友達』にお願いして私も同行する」という意味になる?

 意味が分からない!

 たった一文字で何で文章がこういう意味になるの?

 全く意味が分からない!

『私 は 山 に 行く』

『私 に 山 が 行く』

『私 が 山 と 行く』

『私 と 山 を 行く』

『私 を 山 に 行く』

『私 に 山 は 行く』

→『私 山 行く』

 何で気づかない、全部同じなんだよ!

 相当の重症としか言いようがなかった。

 では、こういう子供にはどうやって接続詞の使い分けを教えればいいのか?

 そう、『接続詞の違いを説明するのには接続詞を使う』のだ!

 そして私は『接続詞の違いを説明する接続詞が分からない』のだ!

 何なんだ、この負のスパイラルは。

「じゃあ、人はどうやって接続詞の違いを理解してるのだろう?」

 母は伴先生に聞いた。

 先生いわく、本来なら人は「何となく体感的に」この違いを理解していくと答えた。

 もちろん日本言語学的に答えると大変長くて難しい理由を経由して使い分けるのだが、日本人に限らず母国語を使う人たちはその理由を「何となく」と一瞬で使い分けているのだ(これは人間が高等な知能を持っているからこそ成り立つ術なのだが、あまりに当たり前すぎて誰も気づかない)。

 とにかく今はイラスト使って「何となく理解する」。それがゴール。

 でも私には分からなかった。分からないが溜まると段々とイライラしだす。

「……ああぁぁー!(もう分かんない!)」

 これの繰り返し。

 でもこれは言語の硬い殻を破るために必要な命懸けの授業なのだ。親鳥は外から卵の殻をクチバシで突く。ヒナは中から卵の殻をクチバシで突く。外が強く突けば簡単に割れるが中のヒナは力量がないまま生きなくてはならない。けれど中のヒナにはまだ一人で殻を突き破る力はない。だから親鳥は外からヒナが自力で割れるほどのヒビを入れるあげる必要があるのだ。両鳥が必死に良い具合に殻の一点を突き合って、割れた瞬間に初めてヒナは外の世界に旅立てる。それが先生と生徒の理想の関係。イラストカードと五十音表が置かれたテーブルには両鳥の血と汗と涙が落ちていった。

 叱咤の午前と激励の午後。そんな日常が3年間続いた。

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【あとがき】

 当時の文字苦手エピソードで覚えているのが、「九州」と「旭川」の違いが分からなかったことです。

 テレビの天気予報を見る度に北端と西端の同じ文字があるので、しばらく「日本列島を挟む謎の字」として見てました。

 「九州」「旭川」、似てません…?

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