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 吾輩は根暗である。職歴はまだ無い。端の多い生涯を送って来ました。――みんなが当たり前に持っている見えないモノが生まれつき持っていない「私」。たった一つだけ足りない、それだけで日常は異常を孕み始める。常識というような空漠たる概念を、どう学べばいいか知らないし分からない。けれど常識はそれを決して許さない。これはつまらない絶望と希望で構成された日々の中で「私」を考え、そして失敗するまでの軌跡譚……という執拗な説明文から筆者(LD:学習障害)の悪癖が分かる共感度0%な長文ブログです。

タグ:先生と生徒

 散る桜が積る雪を解かす頃、2年間お世話になった先輩たちの卒業式ではなむけを贈ったわずか数日後、私らは春休みを利用した修学旅行へと飛んだ。

 よそは知らないがウチの学校では受験や就活で忙しくなる3年生直前、最後の長期休暇にグダグダ家にいるより遠い地で良い思い出残そうじゃないか! ということで修学旅行プランが組み込まれている(本当にそうなのかしらないが)。

 ついでに今年のプランは飛行機に乗って沖縄で4泊5日過ごす予定だ。以前から沖縄の青い空と海に凄く凄く憧れていた私にとって、利害(?)一致の最高な旅行となった。

 当日、集合場所の羽田空港ロビーで皆がボストンバックやトランクを使っている中、お古の林間サックで来てしまったことを除けば…。

 わずか2時間半のフライトで那覇空港に降り着いた飛行機の中は片窓から見える遠くで挟まれた綺麗な水平線に「こんな所まで来ちゃった」と大盛り上がりだった。空港を出た後は先生と生徒一同で沖縄名物ソーキソバを昼食に美味しく頂いて、前半2泊するホテルに向かって大型バスが走った。

 実はこの5日間に巡る観光予定地は地図上でも島の端から端までバラバラで、前半2泊+後半2泊と別のホテルで分けて“沖縄”を堪能する豪華プランとなっている。

 前半は、いわゆる定番の修学旅行で世界遺産の首里城で琉球の美しさを知って、ひめゆりの塔と平和祈念資料館で戦争の愚かさを学んだ。

“事なかれ主義”

 防空とは呼べない壕から発見されたボロボロにやられた学用品の展示物を見て、戦争と平和について考えなくてはいけないと、その責任を持つ年齢が今も近づいていると、大人になることの重大さが少しずつ襲ってきた。

 これを書いている大人の私から助言しよう。安心しろ、そう考えている今のお前の方が何十倍もしっかりしている。現に次の日、お前は憧れの沖縄の青い海でシュノーケリングしたときにはもう傷心を忘れているぞ。あと興奮しすぎて水中で過呼吸を起こしかけるぞ。今思うとよくもまあ溺れなかった…。

 良い思い出の上書きは次のホテルに持っていって修学旅行も後半に突入した。

 後半はレジャーがメインで、各グループが小船に乗って離れ小島に行き、自然豊かな島をサイクリングで散策したり、日本一有名な水族館『美ら海水族館』に出かけるプランになっていた。

 最高すぎる!

 移動バスの中で再確認した私は顔には出さないがニヤニヤしていた。だが、そう簡単にはいかなかった。

 一夜が明けて朝食が始まる直前、事件は起こった。参加した生徒の約3分の1以上がインフルエンザを発症した。旅先で急に集団感染が起こったのだ、信じられないが。ボヤくほどの元気がある私は言うまでもなく感染していなかった。

 とにかく感染者を除いて生徒は各部屋で待機となった。昼過ぎまでおよんだ先生たちの緊急審議の結果、離れ小島のサイクリングは中止にとなった。

 うぅ…私のアイランドが…(違う)。

 結局ホテルの一室で丸一日過ごすことになった。

 もったいねぇ…もったいねぇ…。

 地べたに敷いた布団の中で恨んだ。

 当初の予定では次の日は、午前から美ら海水族館に行くことになっている。ワイな、生のジンベイザメ見たいんや…。沖縄で関西弁を漏らす関東育ち、アイデンティティも危うくなった。いよいよヤバいので寝て落ち着こう。

 またも昼過ぎまで掛かった緊急審議の結果、未感染者でかつ希望者だけ美ら海水族館に行けることになった。

 もちろん即座に参加を志願した。

 ただ問題は現時点で午後2時を過ぎている所だ。

 ホテルから水族館までバスで約1時間、帰りも加えて往復約2時間。ただでさえ人気スポットな上に、明日には沖縄を発つから長居もできない。よって、おみやげコーナー込みで1時間で全館まわってこい!

 バス移動中での先生からのミッションはあまりに酷だった。

 さらにこの尋常ではない人混みのロスタイムも踏まえると、水槽見ないで進まない限りミッション・インポッシブルだった。

 午後3時の館内で足掻いた私はよその水槽を犠牲にしてジンベイザメのいる最後の巨大水槽に15分ほど居座ることにした。

 その代わり自前のデジカメで水宙を泳ぐ被写体たちをパシャパシャと大量に撮った。

 いつかジンベイザメと泳ぎたい、いつかスキューバダイビングをやりたい私にとってそれは大きい夢で目標だった(あれから10年以上経って未だに叶っていない、ダイビングどころか海にすら行っていない)。

 いい…すごくいい…もっと撮りたい!

 もっと近くでその姿を撮「もう終わりだ!!」

 先生からの最終通告により海中の夢は強制終了した。

 今日は過密スケジュールだから去るけど、絶対ここに帰ってくるから絶対待っててくれ(行けてない)。

 ジンベイザメがいる大水槽部屋を左側に抜けるとおみやげコーナーがあって、その次が水族館の出口だった。

 このコーナーでチンアナゴが好きな母に美ら海水族館限定チンアナゴぬいぐるみストラップを買った。それも含めて今回沖縄4泊5日のおみやげは国際通りで買ったシーサーの小さい置物とエイサー衣装を着た沖縄限定ドラえもんストラップと、お酒が大好きな父には気軽に飲める泡盛の小瓶(自宅に配送なら未成年でも買ってよいルールだった)という比較的お財布に優しい範囲内で収まった。

 思い出の水族館を後にして、宿泊するホテルまで続くサンセットビーチ沿いの長い道路を僕らのバスは淋しくも夕日色の希望を乗せて走って…なんて妄想をしてみたいが、この時期の那覇の夕暮れは結構早く、バスのヘッドライトがもう点いていた。

 あと横の海岸も東京でも見れる黒い曇天模様だったので見れば見るほど不安になった。

 ホテルに戻るとロビーにはウチの生徒と思われる若者はいなくて、自分が泊まっている部屋に戻ると、水族館に興味ない組の友人らがDSやPSPやウォークマンなどで各自グダグダ過ごしていた。不可抗力とはいえ沖縄に来た内の丸2日間、彼らは朝から晩までずっと室内で過ごしたことになる。

「思い出もへったくれもない」

 最後の布団に入りながら思った一言だった。

 昨日の曇が未だに空に居座っていて、那覇発・羽田着の自分たちを乗せた飛行機は膜を突き破る形で高く飛び立った。

 地上が曇天だったおかげで上空は雲海が限りなく広がっていた。後半は見れなかった青空も最後の最後に拝むことができた。

 2列シートの窓席から外を見つめる私に隣に座る杉下は

「さすがオレだな! さっき曇りでも最後の空の上は青空だ!」

 と言ったので、

「そうだねぇー、ただ雲の上に青空があるのは当たり前だけどねぇ」

 と私は普段のボケに普段のノリでツッコんだら、少し間が空いた。

「バッ…バッカじゃねぇの!? 当たり前だろ! そんなの当たり前だろ!!」

「そうだねぇー」

「……」

「……」

 すまん、本気だったのか…。

 きっかけ作りに窓外も見ながら私は言った。

「まー色々あったけど、沖縄楽しかったな」

「……」

 嘘でしょ、機嫌損ねた…?

 それから離陸中の会話は皆無だった。何でだろ、空気は十分あるのに苦しい…。

 上空も2時間ほど経てば雲の隙間から見える下の光景も見覚えのあるものたちが増えてきた。

 機内アナウンスが鳴った。

「皆様、まもなく着陸いたします」

 いよいよ東京かー…もう少し居たかったなぁ。

 そのとき機体がガクンと揺れた。

 えっえっ何々何なの!?

 窓外を見ると下にある羽田空港はバケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨と遠くのビル群に幾度も衝突する落雷に見舞われていた。

 よりによって何故こんな目に…。私は尋常じゃないほど怖くて震えていた。

 実はつい先日TSUTAYAのレンタルで『ユナイテッド93』を観たばっかりだったから、この時期は特に墜落系に恐怖心を抱いていた。

『ユナイテッド93』……2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロでハイジャックされた4機のうち、唯一目標に達さなかったユナイテッド航空93便の離陸から墜落までの機内の出来事を録音機(ブラックボックス)を基に忠実に再現したノンフィクション映画(Wikipediaより)。

「なあ杉下、この飛行機は大丈夫だよな?」

「……」

「いいかげんしろドアホッ!!」

 このコントみたいなやりとりは、滑走路の着陸完了アナウンスにより終わった。

 疲れた…もの凄く疲れた……。でも、あんな酷い環境下で問題なく着陸させた機長は本当に凄い。降りるとき搭乗ゲートで挨拶するCAさんに機長さんへ感謝の言葉を伝えてもらおう。

 荷物を持ってCAさんの前を通るとき、

「グッジョブでした! と機長さんに伝えてください」

 と微笑みの雰囲気で言うつもりが、本番に大変弱いLDは脳内で何度も繰り返して、

「あっ…グッドラックd(あっ違うバカバカバカ!!!)」

 と、グッド繋がりで言い間違えてしまった…。

 私の後ろにいた別の友人から

「お前なにCAさんに口説いてんだよ…マジで引くから」

 と結構な真顔で言われた。

「うーん、旅のノリって怖いな!」

 とお茶を濁したが荷物を受け取るベルトコンベアーで一部始終の傷跡が襲ってきて本当に恥ずかしくなった。第24話のポルノ発言してしまった事件に匹敵するほどの人生の黒歴史だと思う(そして暴露したからこれらの罪を昇華してほしい)。

 きっとキムタクのあのドラマが脳裏によぎったんだな…まったく見てないけど。

 もし、あのとき立ち会ったCAさん、今読んでいましたら、そういう訳です。本当にご迷惑かけました…。

 荷物を受け取ったあとは旅前に約束した帰る方向が同じの杉下ら友人数人で最寄り駅に行く大型バスに乗った。

 CAさんの一件を見た友人は別方向なのでバス中での会話は何もなかったが、飛行機以上に春休み明けが怖くなった…。

 駅で各自お別れして、まっすぐ家路に向かい、玄関を開けて直ぐに自分の布団にくるまった。頼む、悪い夢であってくれぇ!!……となると沖縄旅行全部が嘘になるから、林間サックとインフルエンザと豪雨とCAさんが嘘であるという良い感じに調整してほしい、と思う一方で笑うデメリットあっての思い出に残る旅行の醍醐味ではないのか…? と布団の中で悶々と悩んだ。

 長旅の疲れが溜まっていたのか晩ご飯も次の日の昼までグーグーと寝た。

 2日後、修学旅行での出来事をブログに書いた。アクセス数は3だった。その内の1は横バーの管理ページ向かう途中のウチのパソコンだった。次の日のアクセス数は1だった。その内の1は横バーの管理ページ向かう途中のウチのパソコンだった。

 2年生が終了した。

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【あとがき】

『修学旅行』

 ウチの高校の修学旅行は何かと“曰く”が付いてしまうらしい。

 私が入学する少し前のこと、少し景気が良かったウチの高校はわざわざ海外へ修学旅行に行っていた。その年は韓国に出掛ける予定だったのだが、2001年のアメリカ同時多発テロの影響で海外への修学旅行は中止になった。

 しかも事件発生から日本で1番最初に海外に行く学校がウチの高校だったので、これからの修学旅行の行方について連日報道陣が押し掛けて大変だったとのこと…。

 ちなみに私は今日に至るまで、修学旅行の定番“京都”に行ったことがありません。

 小学校が日光、中学校が青森、その他部活の合宿は鉱物取れる近場の山地、さらに言えば父の出身が京都なのだが、京都の土どころか京都駅のホームすら踏んだことがない(正しく言うと赤ん坊の頃に帰省したらしいけど、もちろんだが記憶にない)。

 なので、いつかは京都に行ってみたい。

 大人になると不思議なもので、あんなに退屈で興味なかったお寺や仏像に関心が湧くようになる傾向がある。逆に子供のとき、あんなに行きたかった遊園地が今はツラい。ジェットコースターとか激しいの乗ると体内の何かが逆流しそうだ(これは私自身の問題だろうが…)。

 そういえば、どこかのツアー会社のプランに「大人の修学旅行」というのがあるらしいね。

 大人の修学旅行、ぜひ行ってみたい。

 京都のお寺巡り、良いじゃないか!

 京都の仏像巡り、良いじゃないか!

 京都の美食巡り、良いじゃないか!

 深夜にまくら投げ…したらやはりダメでしょうか?

 一緒に行く友達いないから、きっと私一人で行くことになる。そうなるとその日偶然一緒になったおっさんにまくら投げることになるのか…。

 あっダメだ!

 絶対やっちゃダメだわ!!汗

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 立春も過ぎて卒園も近づく6歳の私。

 4月から普通の小学生。理論上では。

 いくら検査をクリアしたとはいえ、現に文字と言葉を認識出来ていない。本人が真面目に授業を受けているつもりでも、黒板の文字も読めないし書き写せない。先生の話す説明や内容も理解出来ない。義務教育だってエスカレーターではない、成績や単位が取れなかったら留年もある。義務教育の留年なんて前代未聞だけど、そもそも私自体が前代未聞だった。さて、どうしたものか。

 県の教育センターとの重なる相談の結果、基本的に「普通学級」に籍を置きつつ言語訓練として週に一日、昼休みに早退して午後から「特殊学級(現:特別支援学級)」に必要な時間だけ出席する。その出席を「足りない普通学級の単位」に当てる。

 要するに「通級学級による指導」という特例授業プログラムで小学6年間を過ごすことで話が落ち着いた。
___

「通級による指導」とは……日本の義務教育における特別支援教育の一つで、通常の学級に在籍していながら個人的な特別支援教育(言語障害、情緒障害、弱視、難聴などによる困難の改善・克服)を受けることの出来る教育で、1993年度に改正による特別教育課程として始まった。

 また、1993年度時点では言語障害、情緒障害、弱視、難聴などのある児童生徒が対象として行われ、LD(学習障害)などの知的障害は対象外だったが、2006年度からLD児とADHD児も対象となっている。
___

 現在では「特別支援教室」というこれと似たシステムがあるが、当時としては無名の超法規的措置に等しかった。でも県の教育センターや市の教育委員会にも承諾を得ているので、そういうプランになった。

 今はだいたいの小学校に「特別支援学級」があるが、それは2006年6月の「学校教育法改正」からなので、1996年当時は「特殊学級」のある小学校は県レベルで少なかった。

 人によっては「特殊学級」を受けるために、わざわざ引っ越して転校する家庭もあったが、奇跡的に通学できる範囲内に「特殊学級」があったので推薦状も書いてもらい、そこに通うことになった。

 卒園式も近い3月3日。来月から始まる特殊学級の前に私を担当する先生と面会した。私が受ける授業は言語障害のこともあり、ゆっくり丁寧に学ぶ個別式授業。いうなれば先生と生徒のマンツーマン授業。私を担当する先生は中年の女性だった。この先生の経歴によると、早くから学習障害の指導と教育について詳しく研究している方らしい。

 そして、この先生との授業が後々大きな意味合いを持つことになるのだが、見えない・聞こえない・話せない『三重苦』と戦ったヘレン・ケラーとアン・サリバン先生の授業にあやかって、この先生の名を『伴理佐子先生』とする。

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森 有子
集英社
1989-09-20

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【あとがき】

 ケラーとサリバンが出会ったのは、ケラーが6歳の時の1887年3月3日。

 この出来事をモチーフに設定しただけなので、実際に面会したのが何月何日かは詳細には覚えていません。

 ただ、覚えていないからこそ、このときの出来事を伴先生とサリバン先生に捧ぐ。

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